断酒747日 子猫をしょって
こんばんは(^_^)青猫です。
毎朝「ネーコンのねこ」という診断メーカーをしています。
初めて知ったのは、ツイッターでした。
自分の名前を入れて診断を押して、ねこさんから今日のお言葉をいただく、みたいな感じ…ほとんどの皆さんが、やったことがあると思います。
一緒に出てくる猫のイラストも可愛らしいんですよね。
そして意外と毎日の言葉が深くて、やっと一日の終わりくらいに「あ!このことだったのかも」って思い当たったりします。
今日のお言葉は、こんな感じでした。
「おんぶねこさんがでました。
じんせいはこねこを負うて遠き道を行くがごとし」
これ、わかります?
「人の一生は 重荷を負うて遠き道を行くが如し」が元になっているんですね。
きっと、何か深い意味が込められていそうです。
そして、やっと昼過ぎくらいに「あっ!」っと思い当たりました。
そうか、このこと? もしかして………。
あくまでも、私の解釈ですが。
この、背負っている子猫は、自分なんです。
小さな子どもの頃の私。
アダルトチルドレンという言葉があります。
子どもの頃、十分に子どもらしく振る舞うことが出来なかった、許されないような環境で育つと、親に甘えたい、愛されたいという欲求を心に抱いたまま、大人になってしまうそうです。
アルコール依存症の家庭で育つということも、大きな要因のひとつになっているようですが、とても大きく難しい問題です。
誰でも、子どもの頃の小さな子猫が心に住んでいるんじゃないでしょうか。
そして、ときおりヒョッコリ顔を出して言うんです。
「寂しいよ。誰も自分のことなんか愛してくれないよ。
悲しいよ。誰も自分のことなんか思い出してくれないよ」って。
どんなに身近に友だちがいても、家族がいても、この突然出て来る子猫は、気がつかないのです。
そして大人の体になった自分に言うんです。
「遊んでよ。愛してよ。抱きしめてよ」って。
自分は……私は、時には子猫に降り回されて、一緒になってさめざめと涙を流したり。
「そうだね、もう、なぁ~んにも、やらない! 誰とも遊ばない!」って、いじけてみたり。
子猫のにゃーにゃー鳴く声と一緒になって鳴くんです。
「泣く」より「鳴く」……わめく、騒ぐ、嘆く……そんな感じで。
でも、いつまでも鳴いていても仕方がないんだな、って。
自分の中に住んでいる、寂しがり屋の子猫は、自分自身。
誰でもない、私しか、子猫をあやしてやることは出来ないんだなぁ、なんて、そう、思いました。
そして、きっと一生、子猫と一緒に生きていくんです。
子猫を背負って、「ヨシヨシ」とか「大丈夫」とか「もう泣かないの!」とか言いながら。
ぎゅーっと、子猫を抱きしめて。
子猫はまだまだ小さくて、ただ、愛情が欲しいだけなんですよね。
子猫に罪は、ありませんから(^_^)
あなたの心に、子猫は住んでいますか?
可愛がってあげて、くださいね。
また明日!(^_^)