飲まなきゃいい人なのに
こんばんは。断酒492日目の青猫です。
お天気の良い日曜日。
ゆるゆると衣替えなどしておりました。
と言っても陽射しは暑く、今日は半袖着てました(^^;
買物する店内は寒いくらいで「今夜は鍋だな」って気分なんですが、外はカーッと晴れ渡り汗ばむくらいで……。
結果として、夜は半袖で窓開けて鍋でした(笑)
だって材料買っちゃったし~~(^^;
時間を戻して衣替え、お片付けの話。
妹は「お父さんの所スッキリ片付けたら、自分の家もやりたくなっちゃった」とせっせと模様替えに励んでいたようです。
私はというと、実家で目にした妹の断捨離パワーの効力が切れたのか、ほとんど捨てられずに入れ替えるだけで反省です。
高いところの物を取るのに、実家からもらってきた脚立を使ってみました。
とっても上りやすい二段の脚立。
ウチは今まで脚立なかったんですよね。
いつもグラグラしながら椅子に乗ったり、息子たちに頼んだり。
高いところと重たいものは、ホント男の子産んで良かったと思ってます(笑)
今日は息子たちがいないけれど、脚立を使って何だか感動。
パン切りナイフも刺身包丁も、父の愛用品が大活躍。
キャベツスライサーで千切りだって山のように作れます。
便利なもの、気の利いたものを見つけて来るのが得意な父でした。
DIYも好きで、玄関に大きな姿見を取り付けたり、室内に洗濯干スペースを作ったり、重たいソファーにキャスターを付けて模様替えしやすくしたりという小技もありました。
電灯やテレビ、エアコンなどのリモコン、老眼鏡などあちこちにセット出来るポケットを取り付けて。
とにかく昔から、使いやすいようにと工夫するのが大好きな父。
ややこしい電気の配線や家具の組み立て等も得意で、私たち姉妹は結婚するまでずっと、男の人はみんなそうなんだと、思い込んでいたものです。
そんなこんなを思い出しながら、「飲まなきゃいい人なのに」という言葉が浮かびました。
色々なアイデアや工夫を考え、それを楽しんでやってきた父。
便利な道具のひとつひとつ、妥協せず良いものを選んできたところ。
今頃しみじみと感心するのは、生きている頃は飲んでいるイメージばかりが先行していたからなのかな、と。
飲まない時間を一緒に過ごすことが出来たなら、きっと色々な暮らしの知恵と楽しさを共有出来たことでしょう。
独りの素面の時間、父は楽しそうに、あれこれやっていたんでしょうね。
私たちは今まで、アルコールの力を借りないと、本当の自分が出せないと思ってはいなかったでしょうか。
いつもの寡黙でつまらない自分なんかじゃなくて、陽気で気軽で楽しい人になれていると信じてきました。
でもそれは錯覚で、ヨッパライなんてせいぜいみんな、そんなものでしかなかったのです。
私たちがなりたかったのは、ヨッパライなんかじゃなかった。
自分では見えていなかったけれど、素面な自分はずっと真面目に生きていたはず。
それは地味で誰からも評価なんかされなかったかも知れない。
でも、本当はそこに一番大切なものが隠されていたことに、気づいてなかった。
酔いが覚めた私たちに残ったもの。
それは酒臭い喧噪なんかじゃなく、ごく普通で安心出来る静かな毎日の暮らし。
一番基本で、一番なくしてはいけないもの。
そして気づいてあげましょう。
あなたの中にちゃんといる「いい人」。
大きなことじゃなくていい。
日々の暮らしの中にある、キラキラ光る自分らしさの無数の星を。