お酒に向き合う
こんばんは。断酒463日目の青猫です。
やっと土曜日。
今週も色々ありました。
なぜかわからないけれど、水曜日に気持ちが落ちていました。
台風被害の壮絶な映像を見て震災を思い出したためかも知れません。
そこからありとあらゆることが、グサグサ突き刺さり、のしかかり、重たくて重たくて。
意外かも知れませんが、私は自己否定タイプなのですよ。
重たい影を引きずって、歩く道。
もうツイッターやめようか。
ブログ書くのも何のため。
誰にも会わないところへ行きたい……
今だから書けるこの心境。
重たすぎて、とてもリアルタイムにツイートもブログも無理でしたが。
はい、ちゃんと私はここにいます。
誰にも会いたくないとか言いながら、助けてもらったのは友の言葉でした。
やっぱり、怖いのは孤独なんだと心の底から感じた一日でした。
決して独りだったわけではないのに、急に孤独を感じで心が鍵をかけたのです。
飲酒欲求につながる孤独でなかったことは幸いでした。
それはきっと、ここ数日続く断酒ツイッターでの再飲酒についての心情、ストレートな感情が私を引き留めていたのだと思います。
なぜ私たちは、お酒に助けを求めるのでしょう。
例えば飲まない人ならば、その選択肢は初めからありません。
どこかで覚えた感覚、精神の麻痺が、自分を唯一救ってくれるものとしてお酒を選ぶのでしょうか。
「もうどうなってもいい」という自暴自棄、自殺願望。
それを叶えてくれるのは、お酒。
お酒は悪魔の水だと、ちゃんと心得ている。それだから。
「絶対に飲んではいけない、戻れない、破滅する」
わかっているのに、手を伸ばさずにはいられない魔力の恐ろしさ。
誰もが心の奥底で、叫んでいるのに。
「お酒なんかいらない。もう絶対飲まない」
封印したはずの孤独な感情は、いとも簡単にスルリと隣りにやって来る。
そして気やすく肩に手を掛けて、耳元で囁く。
「ねぇ、飲もうよ」って。
お酒って、一体何なのでしょうね。
私たちを惑わし、苦しめ、狂人に変えてしまう。
大切な人たちまでも、悲しみに巻き込んでしまう。
わかっている、わかってるのに、一度捕まると逃れられない最悪の相手。
物分かりが良さそうな顔をして、馴れ馴れしく近づいて来る死神リューク。
騙されてはいけない。思い出すのだ。どれだけのことを今までして来たか。
向き合わなくては。
もう一度、相手をよく知り、作戦を立てたい。
正面突破が危険なら、不意をつくような快心の作戦を。
断酒という同じ志のもと、集う私たちの思いを結集して。
孤独な闘いは、もう終わっているのだから。