分岐点
こんばんは。断酒609日目の青猫です。
やっぱり、いつもの時間。いつものPCの前にいます。
昨夜は「旅に出るかも」なんて書きましたが、今日一日、一瞬にして私は自分が旅に出るイメージを体験してきました。
それはね。
私の旅は……あまり詳しくは書けないのですが、今朝、身近な人が不治の病に罹っているということを知った……そこから出発することになりました。
本当に意外で。信じられなくて。
まだ若く、これからという人なのに。
たまに顔を合わせると、アウェイな私に気をつかって、よく声をかけてくれました。会話も笑顔もとても自然で、ああこんな風に誰とでも接することが出来たらなぁと思う、そんな人なのです。
クリスチャンの私にとって、死は終わりではありません。それでもやっぱり、この世の暮らしが終わることには変わりなく、未練であろうなと、色々、いろいろ考えました。
自分がもしも、この世にあとわずかしかいられないと知ったなら。
どうするだろう? 何を思う? 何がしたい?
飲んでいる頃だったなら、浴びるほどお酒を飲んで、悲しみがボロボロになるまで飲んで飲んで、暗い深い谷底に転がり落ちて、ただ死の影に怯えていたんじゃないでしょうか。
でも今は、誤魔化せないストレートな感情を真正面から受け止めて、どうにかしなくてはならないのです。
それが「再び飲む」という選択には、たぶん、きっとならないであろうなと思うのは、やはり自分は蚊帳の外にいるという、秘かな安堵感からなのでしょうか。
ここで両極端な二つの考えにたどり着きました。
もう終わりだからこそ、まだ見ぬ何かを求め、やりたいように生きるのか。
死を目前にした限られた時間、だからこそ、今ある何かを成し遂げるのか。
あなたなら、どちらを選びますか?
私も考えました。死へ向かう旅のシュミレーション。
自分はいったい、どうするだろう。
答えは今、ここにいる自分。
でも、欲張りなのでどちらかなんて、選びません。
期限を切られたからこそ、可能性を追いかけたい。
出来る出来ないじゃない、やりたいんだと。
やりたいことは、きっと多いほどいい。
何かひとつくらいはきっと、手に入るから。
諦めない。痛む足を引きずってでも、歩みは止めない、前を見て。
命を見つめる旅に出て、我に返れば、いつもの私がここにいました。
ブログのコメントや、ツイッターに、暖かいメッセージを本当にありがとうございました。一緒に考えてくれた皆様に感謝します。
引き戻されたような、今朝の出来事。
疲れた肩を叩いてくれる、優しいメッセージ。
「さあ、一緒に歩こうよ」
私にはそう聞こえます。
毎日一歩。一歩ずつでも、前へ向かいます(^_^)