飲んだくれ娘の詫び状~お母さん、ありがとう~
こんばんは。断酒345日目の青猫です。
何となくいい数字ですよね(^^)
こんな感じでトントントン!と断酒の階段を駆け上がれたらいいなぁ。
今日は母の日でした。
私も一応母親で、今朝から息子たちに「今日は母の日!」と連呼していました(笑)はい、そういう性格です。
仕方ないなーと、次男がiTunesカードをくれました。
「何が欲しい?」と聞かれて「ズートピアの主題歌、トライ・エヴリシングが欲しい」と言ったら、このカードで買えと。
私、iTunesカード初めてなんですよね。
他にもLINEスタンプとか、電子書籍とか買えるようで楽しみです。
私の母は東日本大震災の起きる半年前に亡くなりました。
急逝でした。
実家からは遠く離れてしまっているので、いざという時に会いに行くことが出来ない辛さと無力感を感じたことが思い出されます。
母は飲まない人でした。
父がかなりの酒飲みだったので、もうその世話や後始末でウンザリだったのだろうと思います。
私たち娘によく、「女性も仕事を持って自立しなくちゃダメ」と言ってきました。
経済的な面で父から離れられないこと、同じような思いを娘たちにさせたくないと思っていたのでしょう。
でも、当の本人である娘…私自身が飲んだくれになってしまいました。
外で一番飲んでいたのは、独身時代。
職場の一日のシメが残業食と銘打った飲み会という環境で、血筋と言う下地もあって、私が大酒飲みになるのに時間はいりませんでした。
毎晩遅くまで飲み歩き、終電はまだいい方、深夜のタクシーで帰宅したり、友人のアパートに転がりこんだり。面白いもので、こういう時の友人はみんな飲む女性ばかりでした。
自宅から通っていた私は、もちろん毎日のように両親から叱られるのですが、懲りないところが、やっぱりアルコール依存症だったのでしょうね。
母には本当に心配をかけました。
「飲んで来た罰に、あんたのボーナスから払ってもらうからね!」とビデオデッキを買わされた思い出もあります。
その時は、何だか笑ってしまって、母の温かさを感じてたエピソードとして今も心に残っています。
母が生きているうちに断酒出来ていたら、帰省した時ももっとたくさん話が出来て、色々なところに一緒に行けたんだろうなぁと思います。
お母さん、ごめんなさい。
遅くなったけど、私はお酒をやめて元気に前を向いて歩いているよ。
今になって、お母さんのことを色々思い出すよ。
お母さん、本当に、ありがとう。